「ト書(泣く、笑う)」よりも大切なもの

自然な稽古の流れで、人としてその状態にいかないのであれば、そのト書はやらないほうがいいです。

基準はやはり真実です。自分の感情の真実と確信そこを基準にしてください。

戯曲上、そういうト書があったとしても、そんなにこだわらなくて良いです。

チェーホフの桜の園の初稿がありましたが、実際には最終稿に書かれていないことがたくさんありました。 実際初稿に書いてあったト書を役者がやってみて、何かやりづらい。役者からもチェーホフに質問があった。どうすればいいかと。 やってる方も、これどうしてもやりづらい、私ならこうするんですけどと。 チェーホフも、じゃああなたならどうするの?こういう時、どういう?と、取材をする感じで全部書き直しています。

で、役者に自然に出てくるセリフの方が面白い。

本来の劇作家、シナリオライターというのは、やる俳優を優先に書きます。表現するのは役者なわけですから、やる役者が自然体で真実をつかめるように書きます。

そう書かれているから、絶対にそうしなければいけないというわけではない。 それは書いた作家にとっても、お客さんにとっても、そこはそんなにこだわらない。

例え形だけでそこをやったとしても、劇作家のやりたい表現にいかないだろうし、お客さんにもそれは届かない。

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