【12月17日-18日】短期集中オンラインWS開催決定!詳細はこちら

私達の2年間のオンラインクラスの経験から

スタニスラフスキーシステムにおける「交流」

システムにおける重要な概念

  • 内的注意:Internal Attention
  • 超課題:Super Task
  • 真実感覚:Sense of Truth

については、オンライン上のトレーンングが、より良い結果をもたらす場合があることを発見しました。それはオンライン上で相手役と交流する方が「自分の注意をより深く集中させられる」からなのです。

例としてあげられるのが人間が電話で話をしている時です。人間が電話で話をしているときは、聴覚以外の意識の部分は完全にオフにし、完全にその相手の声に注意を向けています。

電話の最中は相手に注意を向けて聞いているか、別の所に注意を向けてしまうと相手が何を言っているか聞こえず理解が出来ない、どちらかしかありません。 それは、最大限に正確なトレーニングになります。

オンラインでの「内的注意」のトレーニングの際にも、電話で話す時のような事が起こるのです。

また、オンラインでは、一人ひとりが自分の慣れた場所、環境から参加することによって、真実を感じやすくなる事、また周りに誰もいない、観客もいないので注意散漫になる事や緊張することも少なくなります。 

創造活動において「交流」ができるようになるのは、とても高いレベルの事なのですが、そこに向けて準備する環境として、オンラインはとても良い手段です。

【現在開催中のトレーニング】

No Events

次のトレーニング開始まで

05dec6:30 pm9:30 pmオンライン:聴講第10期本科「オンライン実践クラス」

【今後の日程】

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【12月17日-18日短期集中オンラインWS】

アカデミーのオンラインクラスでは、特に【その表情や目の動き、声の質感、トーンなどから、本当に俳優が感じているのか、本当に自分自身としてそこに存在しているのかを見極め】実際に戯曲を使い、オンラインの参加者同士で「交流」を行いながら、集中的にトレーニングを行っていきます。

本アカデミーにおける「交流」とは【ただの情報交換としてのコミュニケーションではなく、どのようにすれば相手の心に響くのか、どのようにすれば自分を偽らずにいれるのか】などの基本の上に成り立っています。

  • 相手役を生身の人間として捉える方法
  • 相手役の気分によりこちらの反応を変える方法
  • 意志を生み出す方法
  • 自分の感情をコントロールする方法
  • 考えの伴う深い感情と、反射的なエモーションについての理解
  • ネガティブな感情の安全な扱い方
  • 舞台の上でも人間としてリアルに「生きる」方法
  • その他「個人個人にあった、様々な方法の提案

詳細はこちらより。

オンラインWS参加者の声

9期オンラインクラス卒業生の声


真実だけが人を癒し、治療することができる
(ТОЛЬКО ПРАВДА ЛЕЧИТ, ТОЛЬКО ПРАВДА ИСЦЕЛЯЕТ.)

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ

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アカデミー Youtube Channell 最新トピック
誰が言ったんですか?
私たちは全然違う方法でやります。
今生まれたことが一番重要だし、一番美しい。一番いいことです。

何が正しいか、正しくないかなんて誰にもわからないし、誰にもいう権利がありません。

今生まれることが、一番大事。多分明日になったら、また全然違うことが生まれます。両方とも真実です。

多分今知性が、あの演出家って、ああいうふうに言ってたよなって、言い始めたんだと思います。

芸術家になるためには、自由でなければいけません。以前の演出家のことを思い出して、ぎゅって、固まってる感じがします。

私は演出家はあまり好きではありません。演出家は大体正しいことはやらないです。この芸術は俳優の芸術です。演劇芸術は演出家のための芸術ではありません。

スタニスラフスキーは、演出家は袖でただみて、助けてあげればいいと言っています。いつもいつも私も、芸術家達、俳優達が舞台でうまく行くように助けるだけです。

スタニスラフスキーは、演出家はお産婆さん、産むのを助けてあげる人だと言っています。産むのも俳優だし、それを育てるのも俳優です。

現代の演出家って、大体、俺がやってる、俺様がやってるみたいな人が多いです。それがすごく嫌いです。演出家は楽屋に行っていればいいのです。俳優が舞台に出るのだから。

だから自由になってください。

過去に苦しんできたんだなということがわかります。

何かに従ってビクビクしてやることは必要は全くありません。

誰が言ったんですか?
私たちは全然違う方法でやります。
今生まれたことが一番重要だし、一番美しい。一番いいことです。

何が正しいか、正しくないかなんて誰にもわからないし、誰にもいう権利がありません。

今生まれることが、一番大事。多分明日になったら、また全然違うことが生まれます。両方とも真実です。

多分今知性が、あの演出家って、ああいうふうに言ってたよなって、言い始めたんだと思います。

芸術家になるためには、自由でなければいけません。以前の演出家のことを思い出して、ぎゅって、固まってる感じがします。

私は演出家はあまり好きではありません。演出家は大体正しいことはやらないです。この芸術は俳優の芸術です。演劇芸術は演出家のための芸術ではありません。

スタニスラフスキーは、演出家は袖でただみて、助けてあげればいいと言っています。いつもいつも私も、芸術家達、俳優達が舞台でうまく行くように助けるだけです。

スタニスラフスキーは、演出家はお産婆さん、産むのを助けてあげる人だと言っています。産むのも俳優だし、それを育てるのも俳優です。

現代の演出家って、大体、俺がやってる、俺様がやってるみたいな人が多いです。それがすごく嫌いです。演出家は楽屋に行っていればいいのです。俳優が舞台に出るのだから。

だから自由になってください。

過去に苦しんできたんだなということがわかります。

何かに従ってビクビクしてやることは必要は全くありません。

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誰が言ったんですか?

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創造的な、クリエイティブな自己感覚を作ることが大切です。

自己感覚は、言ってみればいい状態か悪い状態しかありません。

悪い方というのは、俳優的自己感覚の状態です。これはなかなか拭いきれません。

実際やってみて皆さんも体験すると思いますが、どうしても舞台に出て、人前に出た瞬間に「俳優的自己感覚」「あ、見られている」という感覚になってしまいます。

そうするとすぐに緊張します。ずっと見られているので、見られているという感覚がどうしても取れません。

言ってみれば、ここで学ぶことの全ては、いかにその俳優的な見られているという感覚から、人間的な、ごく自然な、創造的自己感覚になっていくかという、そこの勉強だけです。

人によって、その感覚に数年でなれる人もいれば、3、4年かかる人もいれば、10年ぐらいかかる人もいます。

これもロシアだけじゃなくて、アメリカでもヨーロッパでも日本でも、ずっと仕事してきて、いろんな俳優を見てきましたが、どんなにベテランの経験豊富な俳優でも、やはり見られているという俳優的自己感覚がどうしても取れないという人が多いです。

それでどうしても誤魔化してしまいます。どこかで自分に嘘をついてしまう。

それでとにかく、やってるというのを見せつけようとします。ただどんなにやっても、そういうことは役立ちません。

なぜかというと、創造的なクリエイティブなプロセスというのは、俳優的な感覚のうちは起こらないからです。

そこで一番最初に大きな問題になるのは、注意が集中できなくなることです。お客さんのことを考えたくないのに、でもやっぱり客のことを考えてしまう。

お客さんのことを考えない、考えないとやってるのに、でもやっぱり気になってしまう。

演出家が客席にいるって考えただけで、演出家は一人なのに、気にしてしまう。

そこが一番問題なわけです。

俳優の経験がある方は身に覚えがあると思います。

それでどんなに誤魔化そうとしても無理です。

一人一人自分のペースがありますが、やはり自分の意識を変えて、自然体の創造的な自己感覚になっていくということを目指していかなければなりません。

結局は自分の意識の問題です。

自分の意識が自分の人生そのものです。

自分の意識がとらえていないものは、自分の人生で出会ってこなかったことと同じです。

全ては意識です。

創造的な、クリエイティブな自己感覚を作ることが大切です。

自己感覚は、言ってみればいい状態か悪い状態しかありません。

悪い方というのは、俳優的自己感覚の状態です。これはなかなか拭いきれません。

実際やってみて皆さんも体験すると思いますが、どうしても舞台に出て、人前に出た瞬間に「俳優的自己感覚」「あ、見られている」という感覚になってしまいます。

そうするとすぐに緊張します。ずっと見られているので、見られているという感覚がどうしても取れません。

言ってみれば、ここで学ぶことの全ては、いかにその俳優的な見られているという感覚から、人間的な、ごく自然な、創造的自己感覚になっていくかという、そこの勉強だけです。

人によって、その感覚に数年でなれる人もいれば、3、4年かかる人もいれば、10年ぐらいかかる人もいます。

これもロシアだけじゃなくて、アメリカでもヨーロッパでも日本でも、ずっと仕事してきて、いろんな俳優を見てきましたが、どんなにベテランの経験豊富な俳優でも、やはり見られているという俳優的自己感覚がどうしても取れないという人が多いです。

それでどうしても誤魔化してしまいます。どこかで自分に嘘をついてしまう。

それでとにかく、やってるというのを見せつけようとします。ただどんなにやっても、そういうことは役立ちません。

なぜかというと、創造的なクリエイティブなプロセスというのは、俳優的な感覚のうちは起こらないからです。

そこで一番最初に大きな問題になるのは、注意が集中できなくなることです。お客さんのことを考えたくないのに、でもやっぱり客のことを考えてしまう。

お客さんのことを考えない、考えないとやってるのに、でもやっぱり気になってしまう。

演出家が客席にいるって考えただけで、演出家は一人なのに、気にしてしまう。

そこが一番問題なわけです。

俳優の経験がある方は身に覚えがあると思います。

それでどんなに誤魔化そうとしても無理です。

一人一人自分のペースがありますが、やはり自分の意識を変えて、自然体の創造的な自己感覚になっていくということを目指していかなければなりません。

結局は自分の意識の問題です。

自分の意識が自分の人生そのものです。

自分の意識がとらえていないものは、自分の人生で出会ってこなかったことと同じです。

全ては意識です。

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「俳優的」自己感覚をやめる

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日本で日本の俳優や、学生達と色々仕事している中で、気づいた点があります。日本人の特徴として、唯一の正解を求めようとします。これ、あり得ません。

芸術においては何千通りとバリエーションがあって、それぞれ一つ一つが全て正しいのです。

特にチェーホフのような古典作品と言われているものは、何千通りと解釈ができます。そして、その一つ一つの解釈全てが正しいのです。

なので「これであっているかどうか」という、そういう「正解は求めない」でください。

自分がやりたいと思うことをやってください。それが正しいのです。

みなさんにわかってもらいたい、体験してもらいたいこととがあります。みなさんは全宇宙の中で、唯一無二の存在、唯一無二の個性を持った存在だと言うことです。

そこがみなさんの宝です。

例えば木には何枚も葉っぱがあります。でも全く同じ葉っぱは一つとしてありません。これが宇宙の法則です。自然界の法則なのです。

海岸には砂浜の砂つぶが幾つあるのでしょう。これも同じものは一つとしてありません。

似通ってはいても、同じものはありません。自然や宇宙は、そう言う法則を持っています。

何が言いたいかというと、「自分の個性」を自分で愛してください。誰かを真似する必要はありません。

自分自身を見つけて、「自分の個性」をどんどん開いていかなければなりません。

自分の個性が開かれて来た時に、周りで見てる人は、そこに見惚れていきます。

誰かの真似をする必要は全くないのです。「自分」がやることをやってください。

日本で日本の俳優や、学生達と色々仕事している中で、気づいた点があります。日本人の特徴として、唯一の正解を求めようとします。これ、あり得ません。

芸術においては何千通りとバリエーションがあって、それぞれ一つ一つが全て正しいのです。

特にチェーホフのような古典作品と言われているものは、何千通りと解釈ができます。そして、その一つ一つの解釈全てが正しいのです。

なので「これであっているかどうか」という、そういう「正解は求めない」でください。

自分がやりたいと思うことをやってください。それが正しいのです。

みなさんにわかってもらいたい、体験してもらいたいこととがあります。みなさんは全宇宙の中で、唯一無二の存在、唯一無二の個性を持った存在だと言うことです。

そこがみなさんの宝です。

例えば木には何枚も葉っぱがあります。でも全く同じ葉っぱは一つとしてありません。これが宇宙の法則です。自然界の法則なのです。

海岸には砂浜の砂つぶが幾つあるのでしょう。これも同じものは一つとしてありません。

似通ってはいても、同じものはありません。自然や宇宙は、そう言う法則を持っています。

何が言いたいかというと、「自分の個性」を自分で愛してください。誰かを真似する必要はありません。

自分自身を見つけて、「自分の個性」をどんどん開いていかなければなりません。

自分の個性が開かれて来た時に、周りで見てる人は、そこに見惚れていきます。

誰かの真似をする必要は全くないのです。「自分」がやることをやってください。

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「正解」を求めない

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この先どんなことになるかなんて、お互いにわからなくていいんです。それでいいんです。

だから、プランしてたようになるのではなくて、直感的なものが働き始めるということです。今の問題は、みなさんプログラムどうりにやろうとすることです。

スタニスラフスキーは、創造というのは直感的なものでなければならないと言っています。

つまり何が起こるかなんて、誰もわからない。その状態がいいのです。相手役がどんな反応するなんて誰も予測ができません。それを知っては行けないのです。相手役こう反応するだろうなって前もってわかってたら、創造はもうおしまいです。

それがわからない状態になっていると、そうすると本当に面白くなってきて、だんだん引き込まれていきます。

言葉なしでも伝えたくなってきます。

創造は直感的にならなければなりません。

最初に分析をやった意味は、頭で意味をわかるためだけです。作品の意味をわかるためだけ。最初にわかったのは、いろんな面白いシーンがあって、これは喜劇なんだなってことがわかりました。全員おっちょこちょいだということもわかりました。それは頭で分析したことです。それはいいことです。

それをこのリハーサルの間では、生活していきます。

ただ、その生活が生まれるのは、相手役のおかげです。

スタニスラフスキーが言ったとても大事なことは、本当に交流できている場合、相手役をちゃんと感じられている場合、他のものは全て勝手に生まれてくるということです。

この先どんなことになるかなんて、お互いにわからなくていいんです。それでいいんです。

だから、プランしてたようになるのではなくて、直感的なものが働き始めるということです。今の問題は、みなさんプログラムどうりにやろうとすることです。

スタニスラフスキーは、創造というのは直感的なものでなければならないと言っています。

つまり何が起こるかなんて、誰もわからない。その状態がいいのです。相手役がどんな反応するなんて誰も予測ができません。それを知っては行けないのです。相手役こう反応するだろうなって前もってわかってたら、創造はもうおしまいです。

それがわからない状態になっていると、そうすると本当に面白くなってきて、だんだん引き込まれていきます。

言葉なしでも伝えたくなってきます。

創造は直感的にならなければなりません。

最初に分析をやった意味は、頭で意味をわかるためだけです。作品の意味をわかるためだけ。最初にわかったのは、いろんな面白いシーンがあって、これは喜劇なんだなってことがわかりました。全員おっちょこちょいだということもわかりました。それは頭で分析したことです。それはいいことです。

それをこのリハーサルの間では、生活していきます。

ただ、その生活が生まれるのは、相手役のおかげです。

スタニスラフスキーが言ったとても大事なことは、本当に交流できている場合、相手役をちゃんと感じられている場合、他のものは全て勝手に生まれてくるということです。

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「プログラムどうり」にしない

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人に見惚れる

「スタニスラフスキーへの道」レオニード・アニシモフ

日本で日本の俳優や、学生達と色々仕事している中で、気づいた点があります。日本人の特徴として、唯一の正解を求めようとします。これ、あり得ません。

芸術においては何千通りとバリエーションがあって、それぞれ一つ一つが全て正しいのです。

特にチェーホフのような古典作品と言われているものは、何千通りと解釈ができます。そして、その一つ一つの解釈全てが正しいのです。なので「これであっているかどうか」という、そういう「正解は求めない」でください。自分がやりたいと思うことをやってください。それが正しいのです。

みなさんにわかってもらいたい、体験してもらいたいこととがあります。みなさんは全宇宙の中で、唯一無二の存在、唯一無二の個性を持った存在だと言うことです。そこがみなさんの宝です。

例えば木には何枚も葉っぱがあります。でも全く同じ葉っぱは一つとしてありません。これが宇宙の法則です。自然界の法則なのです。海岸には砂浜の砂つぶが幾つあるのでしょう。これも同じものは一つとしてありません。似通ってはいても、同じものはありません。自然や宇宙は、そう言う法則を持っています。

何が言いたいかというと、「自分の個性」を自分で愛してください。誰かを真似する必要はありません。自分自身を見つけて、「自分の個性」をどんどん開いていかなければなりません。

「自分の個性」が開かれて来た時に、周りで見てる人は、そこに見惚れていきます。誰かの真似をする必要は全くないのです。「自分」がやることをやってください。

【演技】について
日本で日本の俳優や、学生達と色々仕事している中で、気づいた点があります。日本人の特徴として、唯一の正解を求めようとします。これ、あり得ません。

芸術においては何千通りとバリエーションがあって、それぞれ一つ一つが全て正しいのです。

特にチェーホフのような古典作品と言われているものは、何千通りと解釈ができます。そして、その一つ一つの解釈全てが正しいのです。

なので「これであっているかどうか」という、そういう「正解は求めない」でください。

自分がやりたいと思うことをやってください。それが正しいのです。

みなさんにわかってもらいたい、体験してもらいたいこととがあります。みなさんは全宇宙の中で、唯一無二の存在、唯一無二の個性を持った存在だと言うことです。

そこがみなさんの宝です。

例えば木には何枚も葉っぱがあります。でも全く同じ葉っぱは一つとしてありません。これが宇宙の法則です。自然界の法則なのです。

海岸には砂浜の砂つぶが幾つあるのでしょう。これも同じものは一つとしてありません。

似通ってはいても、同じものはありません。自然や宇宙は、そう言う法則を持っています。

何が言いたいかというと、「自分の個性」を自分で愛してください。誰かを真似する必要はありません。

自分自身を見つけて、「自分の個性」をどんどん開いていかなければなりません。

自分の個性が開かれて来た時に、周りで見てる人は、そこに見惚れていきます。

誰かの真似をする必要は全くないのです。「自分」がやることをやってください。

日本で日本の俳優や、学生達と色々仕事している中で、気づいた点があります。日本人の特徴として、唯一の正解を求めようとします。これ、あり得ません。

芸術においては何千通りとバリエーションがあって、それぞれ一つ一つが全て正しいのです。

特にチェーホフのような古典作品と言われているものは、何千通りと解釈ができます。そして、その一つ一つの解釈全てが正しいのです。

なので「これであっているかどうか」という、そういう「正解は求めない」でください。

自分がやりたいと思うことをやってください。それが正しいのです。

みなさんにわかってもらいたい、体験してもらいたいこととがあります。みなさんは全宇宙の中で、唯一無二の存在、唯一無二の個性を持った存在だと言うことです。

そこがみなさんの宝です。

例えば木には何枚も葉っぱがあります。でも全く同じ葉っぱは一つとしてありません。これが宇宙の法則です。自然界の法則なのです。

海岸には砂浜の砂つぶが幾つあるのでしょう。これも同じものは一つとしてありません。

似通ってはいても、同じものはありません。自然や宇宙は、そう言う法則を持っています。

何が言いたいかというと、「自分の個性」を自分で愛してください。誰かを真似する必要はありません。

自分自身を見つけて、「自分の個性」をどんどん開いていかなければなりません。

自分の個性が開かれて来た時に、周りで見てる人は、そこに見惚れていきます。

誰かの真似をする必要は全くないのです。「自分」がやることをやってください。

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「正解」を求めない

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この先どんなことになるかなんて、お互いにわからなくていいんです。それでいいんです。

だから、プランしてたようになるのではなくて、直感的なものが働き始めるということです。今の問題は、みなさんプログラムどうりにやろうとすることです。

スタニスラフスキーは、創造というのは直感的なものでなければならないと言っています。

つまり何が起こるかなんて、誰もわからない。その状態がいいのです。相手役がどんな反応するなんて誰も予測ができません。それを知っては行けないのです。相手役こう反応するだろうなって前もってわかってたら、創造はもうおしまいです。

それがわからない状態になっていると、そうすると本当に面白くなってきて、だんだん引き込まれていきます。

言葉なしでも伝えたくなってきます。

創造は直感的にならなければなりません。

最初に分析をやった意味は、頭で意味をわかるためだけです。作品の意味をわかるためだけ。最初にわかったのは、いろんな面白いシーンがあって、これは喜劇なんだなってことがわかりました。全員おっちょこちょいだということもわかりました。それは頭で分析したことです。それはいいことです。

それをこのリハーサルの間では、生活していきます。

ただ、その生活が生まれるのは、相手役のおかげです。

スタニスラフスキーが言ったとても大事なことは、本当に交流できている場合、相手役をちゃんと感じられている場合、他のものは全て勝手に生まれてくるということです。

この先どんなことになるかなんて、お互いにわからなくていいんです。それでいいんです。

だから、プランしてたようになるのではなくて、直感的なものが働き始めるということです。今の問題は、みなさんプログラムどうりにやろうとすることです。

スタニスラフスキーは、創造というのは直感的なものでなければならないと言っています。

つまり何が起こるかなんて、誰もわからない。その状態がいいのです。相手役がどんな反応するなんて誰も予測ができません。それを知っては行けないのです。相手役こう反応するだろうなって前もってわかってたら、創造はもうおしまいです。

それがわからない状態になっていると、そうすると本当に面白くなってきて、だんだん引き込まれていきます。

言葉なしでも伝えたくなってきます。

創造は直感的にならなければなりません。

最初に分析をやった意味は、頭で意味をわかるためだけです。作品の意味をわかるためだけ。最初にわかったのは、いろんな面白いシーンがあって、これは喜劇なんだなってことがわかりました。全員おっちょこちょいだということもわかりました。それは頭で分析したことです。それはいいことです。

それをこのリハーサルの間では、生活していきます。

ただ、その生活が生まれるのは、相手役のおかげです。

スタニスラフスキーが言ったとても大事なことは、本当に交流できている場合、相手役をちゃんと感じられている場合、他のものは全て勝手に生まれてくるということです。

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「プログラムどうり」にしない

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自然な稽古の流れで、人としてその状態にいかないのであれば、そのト書はやらないほうがいいです。

基準はやはり真実です。自分の感情の真実と確信そこを基準にしてください。

戯曲上、そういうト書があったとしても、そんなにこだわらなくて良いです。

チェーホフの桜の園の初稿がありましたが、実際には最終稿に書かれていないことがたくさんありました。

実際初稿に書いてあったト書を役者がやってみて、何かやりづらい。役者からもチェーホフに質問があった。どうすればいいかと。

やってる方も、これどうしてもやりづらい、私ならこうするんですけどと。

チェーホフも、じゃああなたならどうするの?こういう時、どういう?と、取材をする感じで全部書き直しています。

で、役者に自然に出てくるセリフの方が面白い。

本来の劇作家、シナリオライターというのは、やる俳優を優先に書きます。表現するのは役者なわけですから、やる役者が自然体で真実をつかめるように書きます。

そう書かれているから、絶対にそうしなければいけないというわけではない。

それは書いた作家にとっても、お客さんにとっても、そこはそんなにこだわらない。

例え形だけでそこをやったとしても、劇作家のやりたい表現にいかないだろうし、お客さんにもそれは届かない。

自然な稽古の流れで、人としてその状態にいかないのであれば、そのト書はやらないほうがいいです。

基準はやはり真実です。自分の感情の真実と確信そこを基準にしてください。

戯曲上、そういうト書があったとしても、そんなにこだわらなくて良いです。

チェーホフの桜の園の初稿がありましたが、実際には最終稿に書かれていないことがたくさんありました。

実際初稿に書いてあったト書を役者がやってみて、何かやりづらい。役者からもチェーホフに質問があった。どうすればいいかと。

やってる方も、これどうしてもやりづらい、私ならこうするんですけどと。

チェーホフも、じゃああなたならどうするの?こういう時、どういう?と、取材をする感じで全部書き直しています。

で、役者に自然に出てくるセリフの方が面白い。

本来の劇作家、シナリオライターというのは、やる俳優を優先に書きます。表現するのは役者なわけですから、やる役者が自然体で真実をつかめるように書きます。

そう書かれているから、絶対にそうしなければいけないというわけではない。

それは書いた作家にとっても、お客さんにとっても、そこはそんなにこだわらない。

例え形だけでそこをやったとしても、劇作家のやりたい表現にいかないだろうし、お客さんにもそれは届かない。

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「ト書(泣く、笑う)」よりも大切なもの

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舞台上で使う感情というのは、日常生活の感情とは違います。以前説明したことがあると思いますが、ワイン(舞台上で表現される感情)と、原材料の葡萄(日常生活で起きたそのままの感情)とは違います。

舞台の上ではどんな時でも、相手と優しさというつながりから始めます。根底として相手と優しさとつながっているものがあれば、その上で憎しみだろうがなんだろうが、そして、本当に正直にお前のこと殺してやるという状態も作れます。

でもそれは相手との信頼関係があるからできるのです。それがあると、葡萄とワインの例えにおける、ワインの状態になります。

なので、舞台上での感情は言ってみれば根底のものと二つ組み合わさっています。

最初につながりがあったら、実際に舞台上で相手とやりとりしているうちに、どんな感情が生まれてくるかはわかりません。

それは最初から計画はできません。

だけど、一番最初に相手と優しさでつながったところから、あとは交流しているうちに何が生まれてくるかは、その時次第です。

なので、毎回やるたびに、作品の見え方や感じ方が変わってきます。

そうやっていけば繰り返しがありません。

一番最初に相手との信頼関係と優しさでつながっていたて、やっているうちに、なぜか今日はもう相手に対する残酷な、今まで感じたことのないような気持ちがくるかもしれません。自分でもなぜこんなに残酷になれるのだろうと思うこともあるかもしれません。

戯曲は結論が決まっているじゃないですかと質問を受けます。でも実際はどうなるかわからないのです。セリフは決まっています。でも、その時どういう感情が生まれてくるかはわかりません。どういう感情で終わるかもわかりません。そしてさらに、それを見てお客さんがどういう印象を持って帰っていくかもわかりません。

舞台上で使う感情というのは、日常生活の感情とは違います。以前説明したことがあると思いますが、ワイン(舞台上で表現される感情)と、原材料の葡萄(日常生活で起きたそのままの感情)とは違います。

舞台の上ではどんな時でも、相手と優しさというつながりから始めます。根底として相手と優しさとつながっているものがあれば、その上で憎しみだろうがなんだろうが、そして、本当に正直にお前のこと殺してやるという状態も作れます。

でもそれは相手との信頼関係があるからできるのです。それがあると、葡萄とワインの例えにおける、ワインの状態になります。

なので、舞台上での感情は言ってみれば根底のものと二つ組み合わさっています。

最初につながりがあったら、実際に舞台上で相手とやりとりしているうちに、どんな感情が生まれてくるかはわかりません。

それは最初から計画はできません。

だけど、一番最初に相手と優しさでつながったところから、あとは交流しているうちに何が生まれてくるかは、その時次第です。

なので、毎回やるたびに、作品の見え方や感じ方が変わってきます。

そうやっていけば繰り返しがありません。

一番最初に相手との信頼関係と優しさでつながっていたて、やっているうちに、なぜか今日はもう相手に対する残酷な、今まで感じたことのないような気持ちがくるかもしれません。自分でもなぜこんなに残酷になれるのだろうと思うこともあるかもしれません。

戯曲は結論が決まっているじゃないですかと質問を受けます。でも実際はどうなるかわからないのです。セリフは決まっています。でも、その時どういう感情が生まれてくるかはわかりません。どういう感情で終わるかもわかりません。そしてさらに、それを見てお客さんがどういう印象を持って帰っていくかもわかりません。

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「憎しみ」の使い方と物語の結末

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【セリフ・言葉】
座ってるだけだったとしても、相手のことを聞いて、そのことを考えているだけ。余計なことは何もしない。それこそがとても大切な方向性です。

舞台上で、例え見られていようと、本気で考えること。そして、周りの人たちが考えていることを観察する。

そのためには、相手がどういうことで議論しているのだろうと、ちゃんと聞き取ろうとすること。

それをするだけでいろんな発見があります。

今はセリフを言っていても、意味がない状態になってしまっています。どうしても言葉は発しているけれども意味が見えてこない。

相手の言ってることを、きちんと聞き取れた時、相手の言ってる事を、自分の中で視覚化できた時に、そこから気づきがきて、ああ、こういう事だったんだと気づきがくると、そこから自分が発する言葉も意味を持った言葉として相手に伝わる。

相手はなんでそんなどうでもいい事を言うんだろう?、なんでそんなくだらない事が言えるんだろう?、学のないロパーヒン(桜の園の登場人物)が、なぜ大学を出ている人をからかえるんだろう?、チェーホフはなぜそう言う二人のやり取りを書いたんだろう?

言葉で伝えられることは、限られていてつまらない。

言葉の後ろにある考えは、無限にいくらでも広げられるので、そこのやりとりが重要です。

言葉では説明できません。時間をかけても伝えられません。結局は言葉では何も説明できないのです。

座ってるだけだったとしても、相手のことを聞いて、そのことを考えているだけ。余計なことは何もしない。それこそがとても大切な方向性です。

舞台上で、例え見られていようと、本気で考えること。そして、周りの人たちが考えていることを観察する。

そのためには、相手がどういうことで議論しているのだろうと、ちゃんと聞き取ろうとすること。

それをするだけでいろんな発見があります。

今はセリフを言っていても、意味がない状態になってしまっています。どうしても言葉は発しているけれども意味が見えてこない。

相手の言ってることを、きちんと聞き取れた時、相手の言ってる事を、自分の中で視覚化できた時に、そこから気づきがきて、ああ、こういう事だったんだと気づきがくると、そこから自分が発する言葉も意味を持った言葉として相手に伝わる。

相手はなんでそんなどうでもいい事を言うんだろう?、なんでそんなくだらない事が言えるんだろう?、学のないロパーヒン(桜の園の登場人物)が、なぜ大学を出ている人をからかえるんだろう?、チェーホフはなぜそう言う二人のやり取りを書いたんだろう?

言葉で伝えられることは、限られていてつまらない。

言葉の後ろにある考えは、無限にいくらでも広げられるので、そこのやりとりが重要です。

言葉では説明できません。時間をかけても伝えられません。結局は言葉では何も説明できないのです。

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言葉から「意味」が見えてこない

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頭で見るのは誰でもできます。自分の中で見えたものが、心を開くかどうか。

心で考え、心で感じてください。相手を感じるのも心を通して。

相手を見るのも心の目を通して見るようになってほしいと思っています。常に心で交流してください。スタニスラフスキーシステムを簡単に説明するとそうなります。

本当の芸術とは感情で作られるし、魂や精神のエネルギーで作られます。感情は魂の領域、イマジネーションは精神の領域。あらゆる芸術はそのエネルギーで作られます。

頭を使ったものを目指すのであれば、科学の世界になります。

頭を使うのであれば、自分の魂と精神を動かすために使ってください。

頭は使う必要があるけれども、それは少しづつ自分の心を開いて、精神とつながるということの理解をするために使ってください。

スタニスラフスキーの定義では「いかに意識的に、つまり頭を使って意識的に潜在意識に入っていくか」となっています。

自分の体験が見えていて、そこからセリフが出てくる。これが見えてるという状態です。呼吸も変わります。

お客さんもこれだけで感じ取ります。セリフではありません。

これがスタニスラフスキーの言う追体験をしている状態です。

その状態さえできてしまえば、チェーホフが伝えたいことはセリフ抜きで伝わります。

頭で見るのは誰でもできます。自分の中で見えたものが、心を開くかどうか。

心で考え、心で感じてください。相手を感じるのも心を通して。

相手を見るのも心の目を通して見るようになってほしいと思っています。常に心で交流してください。スタニスラフスキーシステムを簡単に説明するとそうなります。

本当の芸術とは感情で作られるし、魂や精神のエネルギーで作られます。感情は魂の領域、イマジネーションは精神の領域。あらゆる芸術はそのエネルギーで作られます。

頭を使ったものを目指すのであれば、科学の世界になります。

頭を使うのであれば、自分の魂と精神を動かすために使ってください。

頭は使う必要があるけれども、それは少しづつ自分の心を開いて、精神とつながるということの理解をするために使ってください。

スタニスラフスキーの定義では「いかに意識的に、つまり頭を使って意識的に潜在意識に入っていくか」となっています。

自分の体験が見えていて、そこからセリフが出てくる。これが見えてるという状態です。呼吸も変わります。

お客さんもこれだけで感じ取ります。セリフではありません。

これがスタニスラフスキーの言う追体験をしている状態です。

その状態さえできてしまえば、チェーホフが伝えたいことはセリフ抜きで伝わります。

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観客は内容を「セリフ」で理解するのではない

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舞台の上で【生きる】
誰が言ったんですか?
私たちは全然違う方法でやります。
今生まれたことが一番重要だし、一番美しい。一番いいことです。

何が正しいか、正しくないかなんて誰にもわからないし、誰にもいう権利がありません。

今生まれることが、一番大事。多分明日になったら、また全然違うことが生まれます。両方とも真実です。

多分今知性が、あの演出家って、ああいうふうに言ってたよなって、言い始めたんだと思います。

芸術家になるためには、自由でなければいけません。以前の演出家のことを思い出して、ぎゅって、固まってる感じがします。

私は演出家はあまり好きではありません。演出家は大体正しいことはやらないです。この芸術は俳優の芸術です。演劇芸術は演出家のための芸術ではありません。

スタニスラフスキーは、演出家は袖でただみて、助けてあげればいいと言っています。いつもいつも私も、芸術家達、俳優達が舞台でうまく行くように助けるだけです。

スタニスラフスキーは、演出家はお産婆さん、産むのを助けてあげる人だと言っています。産むのも俳優だし、それを育てるのも俳優です。

現代の演出家って、大体、俺がやってる、俺様がやってるみたいな人が多いです。それがすごく嫌いです。演出家は楽屋に行っていればいいのです。俳優が舞台に出るのだから。

だから自由になってください。

過去に苦しんできたんだなということがわかります。

何かに従ってビクビクしてやることは必要は全くありません。

誰が言ったんですか?
私たちは全然違う方法でやります。
今生まれたことが一番重要だし、一番美しい。一番いいことです。

何が正しいか、正しくないかなんて誰にもわからないし、誰にもいう権利がありません。

今生まれることが、一番大事。多分明日になったら、また全然違うことが生まれます。両方とも真実です。

多分今知性が、あの演出家って、ああいうふうに言ってたよなって、言い始めたんだと思います。

芸術家になるためには、自由でなければいけません。以前の演出家のことを思い出して、ぎゅって、固まってる感じがします。

私は演出家はあまり好きではありません。演出家は大体正しいことはやらないです。この芸術は俳優の芸術です。演劇芸術は演出家のための芸術ではありません。

スタニスラフスキーは、演出家は袖でただみて、助けてあげればいいと言っています。いつもいつも私も、芸術家達、俳優達が舞台でうまく行くように助けるだけです。

スタニスラフスキーは、演出家はお産婆さん、産むのを助けてあげる人だと言っています。産むのも俳優だし、それを育てるのも俳優です。

現代の演出家って、大体、俺がやってる、俺様がやってるみたいな人が多いです。それがすごく嫌いです。演出家は楽屋に行っていればいいのです。俳優が舞台に出るのだから。

だから自由になってください。

過去に苦しんできたんだなということがわかります。

何かに従ってビクビクしてやることは必要は全くありません。

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誰が言ったんですか?

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創造的な、クリエイティブな自己感覚を作ることが大切です。

自己感覚は、言ってみればいい状態か悪い状態しかありません。

悪い方というのは、俳優的自己感覚の状態です。これはなかなか拭いきれません。

実際やってみて皆さんも体験すると思いますが、どうしても舞台に出て、人前に出た瞬間に「俳優的自己感覚」「あ、見られている」という感覚になってしまいます。

そうするとすぐに緊張します。ずっと見られているので、見られているという感覚がどうしても取れません。

言ってみれば、ここで学ぶことの全ては、いかにその俳優的な見られているという感覚から、人間的な、ごく自然な、創造的自己感覚になっていくかという、そこの勉強だけです。

人によって、その感覚に数年でなれる人もいれば、3、4年かかる人もいれば、10年ぐらいかかる人もいます。

これもロシアだけじゃなくて、アメリカでもヨーロッパでも日本でも、ずっと仕事してきて、いろんな俳優を見てきましたが、どんなにベテランの経験豊富な俳優でも、やはり見られているという俳優的自己感覚がどうしても取れないという人が多いです。

それでどうしても誤魔化してしまいます。どこかで自分に嘘をついてしまう。

それでとにかく、やってるというのを見せつけようとします。ただどんなにやっても、そういうことは役立ちません。

なぜかというと、創造的なクリエイティブなプロセスというのは、俳優的な感覚のうちは起こらないからです。

そこで一番最初に大きな問題になるのは、注意が集中できなくなることです。お客さんのことを考えたくないのに、でもやっぱり客のことを考えてしまう。

お客さんのことを考えない、考えないとやってるのに、でもやっぱり気になってしまう。

演出家が客席にいるって考えただけで、演出家は一人なのに、気にしてしまう。

そこが一番問題なわけです。

俳優の経験がある方は身に覚えがあると思います。

それでどんなに誤魔化そうとしても無理です。

一人一人自分のペースがありますが、やはり自分の意識を変えて、自然体の創造的な自己感覚になっていくということを目指していかなければなりません。

結局は自分の意識の問題です。

自分の意識が自分の人生そのものです。

自分の意識がとらえていないものは、自分の人生で出会ってこなかったことと同じです。

全ては意識です。

創造的な、クリエイティブな自己感覚を作ることが大切です。

自己感覚は、言ってみればいい状態か悪い状態しかありません。

悪い方というのは、俳優的自己感覚の状態です。これはなかなか拭いきれません。

実際やってみて皆さんも体験すると思いますが、どうしても舞台に出て、人前に出た瞬間に「俳優的自己感覚」「あ、見られている」という感覚になってしまいます。

そうするとすぐに緊張します。ずっと見られているので、見られているという感覚がどうしても取れません。

言ってみれば、ここで学ぶことの全ては、いかにその俳優的な見られているという感覚から、人間的な、ごく自然な、創造的自己感覚になっていくかという、そこの勉強だけです。

人によって、その感覚に数年でなれる人もいれば、3、4年かかる人もいれば、10年ぐらいかかる人もいます。

これもロシアだけじゃなくて、アメリカでもヨーロッパでも日本でも、ずっと仕事してきて、いろんな俳優を見てきましたが、どんなにベテランの経験豊富な俳優でも、やはり見られているという俳優的自己感覚がどうしても取れないという人が多いです。

それでどうしても誤魔化してしまいます。どこかで自分に嘘をついてしまう。

それでとにかく、やってるというのを見せつけようとします。ただどんなにやっても、そういうことは役立ちません。

なぜかというと、創造的なクリエイティブなプロセスというのは、俳優的な感覚のうちは起こらないからです。

そこで一番最初に大きな問題になるのは、注意が集中できなくなることです。お客さんのことを考えたくないのに、でもやっぱり客のことを考えてしまう。

お客さんのことを考えない、考えないとやってるのに、でもやっぱり気になってしまう。

演出家が客席にいるって考えただけで、演出家は一人なのに、気にしてしまう。

そこが一番問題なわけです。

俳優の経験がある方は身に覚えがあると思います。

それでどんなに誤魔化そうとしても無理です。

一人一人自分のペースがありますが、やはり自分の意識を変えて、自然体の創造的な自己感覚になっていくということを目指していかなければなりません。

結局は自分の意識の問題です。

自分の意識が自分の人生そのものです。

自分の意識がとらえていないものは、自分の人生で出会ってこなかったことと同じです。

全ては意識です。

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「俳優的」自己感覚をやめる

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大体の人は、私は劇作家(ここではチェーホフ)が書いたロパーヒン(作品に登場する役)になるんだと思ってしまいます。私はロパーヒンではない、劇作家が書いたものが本物だと。そしてだんだん、その死んだ像に従うようになり、それが自分をコントロールし始め、その結果「生きていない人」になってしまいます。

スタニスラフスキーは、そうやって自分自身のことを殺すことが、戯曲そのものをも壊すことになると言っています。

大抵の俳優は劇作家(チェーホフ)に従うということを決めてしまっています。書かれたラネーフスカヤ(作品に登場する役)は死んでるものです。だから今まで上演されてきた桜の園のラネーフスカヤは、大体死んでるし、大体似ています。美しくて、叙情的で・・・。でもそれらは嘘、嘘、嘘です。死んでるから嘘なんです。

チェーホフは俳優にそのようなマスクをして欲しかったのではなく、生きた人間にこれをやって欲しかったのです。

チェーホフさんありがとう、でもこれは私ではありません。私は生きているから、生きたものをやりたいのです。愚かかもしれないけど、でも生きています。チェーホフよりも才能はないかもしれないけど、でも私は自分自身でいて、生きた存在のままでいたいのです。

もちろんチェーホフが書いてくれたセリフはしゃべります。でも私は私が理解するようにしかしゃべりません。セリフの中に込められている考えは、私自身のものです。チェーホフが考えたものとは違うかもしれない。でも私がやりたいようにやるのです。

大体の人は、私は劇作家(ここではチェーホフ)が書いたロパーヒン(作品に登場する役)になるんだと思ってしまいます。私はロパーヒンではない、劇作家が書いたものが本物だと。そしてだんだん、その死んだ像に従うようになり、それが自分をコントロールし始め、その結果「生きていない人」になってしまいます。

スタニスラフスキーは、そうやって自分自身のことを殺すことが、戯曲そのものをも壊すことになると言っています。

大抵の俳優は劇作家(チェーホフ)に従うということを決めてしまっています。書かれたラネーフスカヤ(作品に登場する役)は死んでるものです。だから今まで上演されてきた桜の園のラネーフスカヤは、大体死んでるし、大体似ています。美しくて、叙情的で・・・。でもそれらは嘘、嘘、嘘です。死んでるから嘘なんです。

チェーホフは俳優にそのようなマスクをして欲しかったのではなく、生きた人間にこれをやって欲しかったのです。

チェーホフさんありがとう、でもこれは私ではありません。私は生きているから、生きたものをやりたいのです。愚かかもしれないけど、でも生きています。チェーホフよりも才能はないかもしれないけど、でも私は自分自身でいて、生きた存在のままでいたいのです。

もちろんチェーホフが書いてくれたセリフはしゃべります。でも私は私が理解するようにしかしゃべりません。セリフの中に込められている考えは、私自身のものです。チェーホフが考えたものとは違うかもしれない。でも私がやりたいようにやるのです。

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「劇作家に従う」のではなく

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